以前の記事で Bolzano の歴史についてざっくりご紹介したように、
南チロル地方のクリスマスの風景は見慣れたイタリアの景色とは少し異なります。
広場にはたくさんの屋台が並び、ところどころにホットワインやシードルのスタンドも並んでいるのです。
屋台には様々なクリスマスの飾りやぬいぐるみが売られていました。
もうホント、この子のように開いた口が塞がらないのはしょうがない…。
ワインやグラッパなどのお酒なんかも売っていたし、
実にたくさんの商品が展示されていて、圧倒されてしまうのです。
また 子どもたちのために、ミニSLやミニ・カルーセルなどの遊具が置かれていたりもします。
日本から来た自分にとっては映画の中にいるような、そんな景色。
ところで、広場の一角にはやたらと草木の香りが漂うところがありました。
木彫りのプレゼピオだった。
イエスのうまれた馬小屋を象徴するように、藁が敷かれ、幼子イエスがいました。
ちょっとフライング気味に。
等身大の彫刻が設置され、藁と木材のオイルのような芳香によって神聖な空間をプレゼンテーションしていました。
ある人がテレビ番組でこう言ってたのを思い出します。
視覚を通して得る情報はいったん脳で処理され、見る者の経験や記憶、知識などと照合され知覚につながる。
その一方で嗅覚による情報は直接的に心を揺さぶる知覚があるのだ、と。
たしかに、ガスやガソリンに加えられた嫌気が立ち込める状況は、直ちにそれは危険で即刻対処するべきであると訴えてくるし、逆に気になる人や好きなものの香気に遭遇した場合、失いたくないと感じるものです。
この彫刻のある空間は、その存在はもとより現代の生活においては非日常的な藁や木材という素材によって、クリスマスという特別な時を脳の記憶に叩き込んでくるのでした。
広場を離れ、小径をのぞいてみると照明やオーナメントがたくさん。
ミラノやローマと言った都市の大通りでは、なかなかこうはいかない。
ちょうどいい距離感の通りだからこその演出。
パステルカラーの建築もまたちょうどいい。
小径を行くと所々に小さな広場があって、ここにも屋台がでていました。
わたあめや、ドイツによくあるような木製のおもちゃ、ぬいぐるみのNICIなどを売ってました。
さらに進んでいくと、ボルツァーノの大学の近くにはプロジェクションマッピングしている建物が。
このようなシンプルなものではありますが、イタリアでは10年以上前からプロジェクションマッピングは盛んに行われているんです。
壁面が多いヨーロッパの建築事情ならではのパブリックアートなんでしょう。
そもそも、アートやデザインとは何か。
意地悪く考えれば、余計で意味のない無駄なもの。
けれども 都市や建築、あるいは人生も無駄があるから面白い。余裕があるから豊かになるのです。